2023年05月11日

なんて迷い悩むのも疲れ

で。
新幹線の中のわたしがどう見えようが、ビジネスで頭がいっぱいの乗客たちには無関心。
席が空いているかどうかの、人間が座っているか、いないか、のチェックしかないだろう荃灣牙醫
仮にわたしがすごいオーラを放つ絶世の美女なら話は別。
残念ながら、空席チェック要員。
しかも「残念!」と思わなくなったのは、年の功。(言葉の使い方、わざと間違えてます)

今さら、すごい国の王子様(古い)や、IT社長(ちょっと古い)が現れても、また次の人生街道をどうしようかなんて迷い悩むのも疲れる。
(究極の、取らぬ狸の皮算用)
今なら、把握できないぐらいの財産があったとしても、「世界中を飛び回ったり、お好きな別荘で優雅に過ごしたりしましょう」なんてことになっても、しんどい。
(究極、とら狸を通り越して、もはや、たんなる妄想)

というわけで、我が家が一番。
いろんな破天荒な楽しい夢を見て、目が覚めるとうちの布団のなかだった、なんてかんじか活動假牙
わたしの実年齢より20年ぐらい歳上発想だが。

見た目は自分で無意識で作られる。
実は意識して、無意識の自分を作り上げている。
なりたい自分を目指して努力する。
雰囲気、オーラというものは、見た目の一種かも知れないが、カタチではない。

ちなみに、話は戻るが、今回のツアーでご一緒の女性で、すごく洗練された(前述の)オシャレさんがいた。
思わず後退りして、少し離れたところからチラ見して、ファッションをチェックしてみたら、、、
いわゆるオシャレ上級者の見本みたいな人がやっている、ヘアスタイル、服、靴、メガネだったりする。
スタイリストさんが俳優に服装を選ぶような。
完璧さがプロっぽい。
で、わたしは思った。
オシャレだけれど、すべてオシャレな手本で既にお見かけしたようなかんじで、かえって個性がない。
それなら、時代がかった、昔の少し丈の短めの窮屈そうなワンピースを着ている女性のほうが、個性を感じた。
その人の歩みを感じた。

オシャレな人は、その時その時のトレンドをうまく取り入れているに過ぎない。
「オシャレな人」という特徴から、個性が見えない。
隙がなくて苦手だなあ、と思っていたが、別に敬遠する必要はない。
毛玉があるお下がりであろうが、選択肢のある中からわざわざ選んでそれを着ているわたしは、どっしり堂々と構えていればよい。
どう見えようが、自分が選択した道は、例え分野がファッションであろうが、揺るぎない。
(ファッションには無頓着、という選択肢もある)

人相や着るものは、見ず知らずの全く知らない赤の他人を想像する手がかりとなる聽力問題
ルッキズムは、容姿そのものを含めた、全部を判定するのだろうか。
容姿だけを取り出しても、成長するにつれて変化を生じる。

ちなみに、わたしは割と人の中身を見透かしてしまう傾向があり、見え過ぎる弊害も感じる。
外ばかりにこだわっても、「この人は外ばかりこだわる人」などと評価されたら、嫌だろう。
何ごとも自然体が良い。
(と、いつも同じことを言っている)

長くなり過ぎて、眠い。 
自然体すぎる。



Posted by 樱花飞雪 at 08:58│Comments(0)
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